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黒潮文化の流れ
 
実家に帰ったと思ったら甥っ子がボーボー、ボーボーといって騒いでる。
何のことやらと思ったら、ヘニュード!
俺のいない間に俺のヘニュードを吹きまくっていたらしい。フムフム。。。
広島に住んでいる甥っ子だけど、夏休みと二人目の甥っ子が出来た事で、姉と甥っ子2人でここ千葉に遊びに来ていた。

俺が帰った瞬間ヘニュード吹き始め、爆笑している。
どうやらかなりのお気に入りらしい。
俺の演奏を聴いているため吹くヘニュードは勢いよく、アボリジニの小さい子が拭くようにブイブイブイブイと早く吹く。
甥っ子はまだ4歳。

これからが楽しみだな~
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ここ清長寺と住人の野本希望さんとの出会いは3年前に太白祭という祭に呼ばれ、ライヴをしたのがきっかけだった。その時に排水の詰まりを直したのがきっかけで陶芸家であり気功家でもある希望さんに気の入っている「ぐい呑み」を頂き、それからチョコチョコ通って気功や陶芸を学んでいた。陶器でディジュリドゥを造ったり、体が不自由で動かない希望さんの変わりにつぼを造ったり、介護したりいろんなことを学ばせてもらっている場所だが、初めてここを訪れた時の感想は一言、異様。
それは祭に来た人、何人かが幽霊を見たということで説明がつくと思う。
俺は何回も通ううちにそんなのは慣れっこになっていったが、しばらくは電気を消して眠ることが出来なかった(笑)。

そこで7月29日希望さんの知り合いのせつ子さんという人が行者さんを連れやってきた。
その行者さんは霊障など悪霊によって引き起こされる病気を祓ったり、悪霊の住処に行って護摩焚きをし悪霊退散させる専門家らしい。
来てすぐ希望さんに挨拶をし、境内に出て車に積んであった細い巻きを出して組み護摩焚きの準備をし、お付の3人に米、大豆、塩、酒、水を用意するように指示た。
準備が出来上がると火をつけ、境内から本堂に向かって印を組み、マントラを唱え始めた。
あまりのテキパキした動きにあっけに取られていたが、唱えるマントラがアボリジニの歌にそっくりで聞きほれていた。20分~30分位印を変えながらマントラを唱え続けている横でイダキのソングラインを心の中で合わせていた(笑)。とてもよく合う。

そんな感じでマントラを唱え終わり四方に米、大豆、塩、酒、水をばら撒き護摩焚きは終わった。
その後一言俺に「いっぱいいたよ」とニコッと微笑んですぐに帰って行ってしまった。

次の日、せつ子さんが行者さんのトコに行き話しをしてきたら、俺の事をべた褒めしていたらしい。
「彼は魂がいい。何者なんだ?」との事だった。
ジャルーの時や、希望さんの時もそう言われた。出羽三山の湯殿山に行った時も山伏の秘湯に入れさせてもらったこともある(友達と一緒だったけど)。俺ってイケてんのか!?
ということで行者さんにもう一度会おうと思い、せつ子さんにそのことを伝えると8月7日に会いに行こうと言う事になった。

それで会いに行ったのだが、昨日行者さんのほうから「彼はいつまで長野にいるんだ?」と気にしてくれていたらしく、会いに行くことを伝えたら明日は忙しいが彼のために時間を取ると言ってくれていたらしい。
そこまで言ってもらってルンルン気分で行者さんの家に向かった。
清長寺から1時間くらい車で走り着いた所は「光輪観道場」と書かれた場所だった。
駐車場には10台を越す車が止まっていて道場の中は20人ほどの人が順番を待ち、4人くらいが横になり2人の行者さんが施術している。凄い光景だった。
棚には見事な不動明王の本尊、その前にピラミッドがあり頂点に水晶球が置いてある。両脇には竜が据えられ真ん中にはお供え物が置いてあった。
挨拶して入ると行者さんはにっこりと微笑み来ている人たちに「みんなちょっと待ってね。この人先にやるからね」ということで施術してくれた。最初に憑き物を祓ってくれ、次に体のいろんな急所を押さえ次々にコリを取っていく、目を瞑っていたせいでどんなことが行われているかはよく分らなかったが、真っ暗な目の前に幾何学模様(これは普段でもよく見える)が踊っている。身体の気がふわふわし、幾何学模様が昇華するとともに頭のてっぺんから何かが抜けていく。
施術が終わって立ってみなさいと言われて立つと体が軽い。
その後すぐに「今からきみの回路を開けようね」といい、お祈りと焼香を頂き、エネルギーの照射の仕方、マントラを授かった。
「こんなに簡単なの?」と戸惑ったが、「自分の腹に当ててみなさい」と言われやってみると、当てた瞬間パッと型にはまるように手が動き、掌から何かエネルギーが出てる!
「これを人に使えば使うほど効果が強くなるからね。人のために使うんだよ」と微笑みながら言ってくれた。
何かとてつもなくいいものを頂いた!
俺への儀式が終わるとすぐに次の人の施術に移る。せつ子さんの話によると夜中の1時、2時までやるらしい、365日ひっきりなしに人が来て、悪霊の住処に出向いては祓い、2ヶ月に1度護摩焚きをする。
と言うことは365日ずっと目に見えないものと戦っているわけだ。
行者さんはとてつもなく優しいがその奥には戦い続けてる男の隙の無さ、力強さがはっきりと見て取れる。
「凄い」の一言しか俺の頭には浮かばない・・・

俺が思うに、回路を開くことや照射すると言うことでレイキの一種かなと思う。しかし、それに仏教的マントラの力が加わる。
不動明王、大日如来、薬師如来、勢至菩薩、観世音菩薩の力を借りて悪霊、病魔を祓う。
この力、これから増大させていけばいまだかつてない面白いことが出来るようになるぞ~!

精霊さんお導きをありがとう!

伯耆富士とも呼ばれる大山の麓に10mの丈を持つ天狗がいると話を聞いた。
どうやら日本八大天狗の一人、伯耆坊という天狗らしい。しかし、相模大山(神奈川県)の相模坊という天狗が崇徳上皇が讃岐で憤死し、その恨みを慰めるため讃岐に渡り白峯相模坊と成り、相模大山に天狗がいなくなったため、大山伯耆坊が相模に移ってしまい今は大山を留守にしているという話しだが、これは実在の修験道の行者の事を言っていると思う。もともと天狗はその森の精霊だから、その場所無しには存在しえない。しかし、その留守に清光坊という天狗が変わりに住んでいると言われたり、伯耆坊の別名が清光坊だといわれたり諸説があるようだ。もしも伯耆坊の代わりに清光坊が住んでいるのだったら先の相模坊、伯耆坊からして精霊界のドラマが窺えて面白い。
ここの天狗は人間ととても仲がいいらしい。子供にだまされ只の竹筒と空を飛ぶときの道具である八手の団扇を交換してしまったり、きこりの前に姿を現わし、神通力をひけらかしてる時に偶然飛んだ木の枝に頭をぶつけ気絶してしまったり、猟師の前に姿を現したりと人間との面白話が多い。
ここでは崇められたりするのではなく、あくまで人間と対等の存在として扱わられている。しかし、強力な神通力を持っていることは持っているので、その力で魔を払ったり病を治したりしてくれるそうだ。土着のシャーマニズムでは精霊、神と人間はあくまでも対等な扱いをされる。それは人間が精霊や神が持つ超自然的な力を必要とするように、精霊や神も人間の歌や踊りといった供養、要するに儀式を必要としているからだ。
このことから、ここ大山では相当古い天狗との関係が見えてくる。

よく晴れた絶好のドライヴ日和に大山へ向かった。伯耆富士の異名をとるだけあって大山に近づくと一体が樹海のような森になっている。雲ひとつ無い青い空、割と背丈の低い森をドライヴする気持ちよさ。
最高だった。まずは、御参りをしてから行こうと思い大山寺へ向かう。参道を通って大山寺に着くと、脇に大山神社と書いてある。仏教よりも神道を信じる俺は迷わず神社へ。森深い長い参道を通って歩いていくと古い格調高い神社が建っていて御参りをする。帰りに寺にお参りして天狗の像が立っている麓へ向かった。
平坦な土地は広々とし、後ろには見事な台形の大山。そこに突如として現れたでかいカラス天狗。周りに高い山や建物が無いだけにびっくりする位でかい。
そのカラス天狗は海の方角をじっと見つめていた。

来年は、緑水祭をこの大山のどこかでやるらしい。ここは見晴らしもいいし、流れてる気もいい。
きっと、八大天狗のように日本の祭の中で代表される祭になるだろう。
楽しみだな~
  


京都のツアーも終わりに近づき、浜松に行く前に沼津部族回帰の時にも来てくれた磐田に住むきみちゃんに連絡を取った。電話越しに天狗に纏わる話しをするときみちゃんは家の近くに大きな天狗の壁絵があるよと言った。それは是非とも見に行かなくては!
という事で浜松に行ったときに隣町の磐田の天狗に会いにきみちゃんに案内してもらい行く事に。
普通の街中を車で走っていく。???こんな所に天狗がいるのだろうか?しばらく走ると川に架かる橋があり、その脇にある小さな駐車場に車を止め川沿いを歩いていくが、ここは街中だ。
「これこれ」ときみちゃんが指す方向には、只のビルに描かれた20mはあろうかという巨大な天狗の絵。

見上げた瞬間、この天狗の絵が何を意味しているのか?どのような目的で書かれているのか?はっきりと伝わってきて、胸が詰まる。

この天狗は鼻を長く描かれているが、木が真ん中に書かれていることや、ここが川の側ということで木葉天狗だと思われる。
きみちゃんが言うには、この辺は20年ほど前は、只の川っぺりで今みたいに遊歩道が出来てなく、たくさんの木が生えていたそうで、そこに目立って大きく立派な木が生えてたそうだ。
しかし、この地区が開発され、建物が増えたことにしたがって、この川も舗装され、辺りに生えていた木々は伐採されたそうだ。
当時その大きな木は天狗が宿っているとされ、みんなに親しまれていたのだろう。それを切り倒すにあたって悲しみを覚えた人々がこの絵を追悼の絵としてここに描いたのだろう。


この天狗が水色をしているのは人々の悲しみがこもっているからだ。
この天狗が両手を広げているのは人々に別れを告げ、空に帰っていったからだ。
そしてこの絵がここに描かれたのは人々が決してこの天狗の事は忘れないという誓いがあったからだ。


これがまさしくアートではないだろうか?
俺は正直今までここまで心揺さぶられた絵は無かった。
こんな街角の川っぺりで、地元の人間しか知らない普通の散歩道の傍らで。


きっと、天狗の両脇の木がもっと大きくなってこの天狗を覆い隠すようになった時、この天狗は再びここに舞い戻ってくる。

そんな気がしてならない。
京都に着いてとがちゃんの家にお世話になったのだが、風呂なし、6畳間水道、トイレ共同のそこはまるでゲストハウスのようにみんなが仲良く暮らしていた。いろんな人がいたが山水人のシュウちゃん、シテン君、画家のリョウちゃん、今俺のホームページ造ってくれてるガンちゃん・・・。

着いてすぐに、シュウちゃんとシテン君が迎えてくれた。とがちゃんの家に入るとシュウちゃんが部屋に入ってきて色々話をした。そこで天狗の話をすると、とがちゃんとシュウちゃんは真っ先に鞍馬の話をしてきた。鞍馬山と鞍馬天狗は名前は知っていたが、二人から話を聞いて繋がった。しかもここ出町柳は鞍馬に行く始発駅で鞍馬山は最終駅、電車一本でいける。おいおい、これって偶然じゃないでしょ?
レイキ発祥の地でもあるらしくレイキを学んでるシュウちゃんにとっても思い入れのある場所だという。
なんだか物凄いパワースポットのようだ。

3日間に渡るライヴも終わり鞍馬山に登りに行った。
鞍馬山では源義経が剣術と兵法を天狗から学んだとされる伝説があり、鞍馬天狗は大天狗、小天狗、からす天狗、木葉天狗と分類される全ての天狗の統括、要するにボスだ。
目指すは磐境(いわくら)のある奥の院魔王殿。
何処でもそうだけどでかくて歴史ある神社(寺)は必ず奥の院が在ってそこに磐境がある。磐境とは太古の人間達が大きな岩を山頂にどうにかして持ち上げ、祭儀の時の依りどころにしたものだ。神社の元とも言えるかもしれない。
ここ鞍馬山の奥の院魔王殿の磐境は約450万~650万年前金星から来たエネルギー体、サナート・クマラが降り立ち、人類救済、大調和の波動を常に送り続けていると言われている。
もしかしたらアボリジニの人たちの祖先が明けの明星からやってきていると言うのは、自分達祖先が海を渡り大陸にやってきた時の方向を指すだけの事ではなく、この意識体の事を言っているのかもしれない。それまで猿となんら特徴的に変わらない人類の祖先に金星からやってきた意識体が宿ることによって人類が誕生したと言う見方も出来るかもしれない。
何にせよ地球上に散らばっている神話、言い伝えを謎解いていけば人類の秘密が解き明かされ、使命も見えてくることになると思う。マクロとミクロの法則からみれば日本でこう言った神話や言い伝えを謎解くことでもそれは可能だろう。長い地球の歴史上たった何千年でここまで来た文明なんだから人類の歴史何十万年の間に実際何が起こっていても不思議では無いだろうし、逆に今非論理的といわれていることこそ非論理的なのではないかと俺は思ってしまう。
ただサナート・クマラに関してはサルタヒコの化身であるとか、インドの神スカンダが元であるとか言われているが、単純にサナート・クマラは堕天使ルシフェルの化身(金星の象徴はルシフェル)で、地上に降りたと同時にサタンとなり天界(死後の世界)を知り尽くし、この世で人間に生きる事とは何か、死を生きることによって深い生への理解を生み出させる存在と言えるんじゃないだろうか。だからサナート・クマラは魔王殿に祭られているんだと思う。
その裏づけは秦氏(ユダヤ人でいわゆる今の神社の社は秦氏が造り上げた)が鞍馬山を開山し、聖なる意味をカテゴライズしたという事だろう。
しかし、金星から来たとの言われは先にも書いたように先住系の人々、特に環太平洋では祖先が金星からやってくると言う伝説は多く、もともとヤポネシアにも同じ伝承があった可能性が高いと思う。

駅に着くといきなりでかい天狗の顔があり、気分も盛り上がる。仁王門をとおり奥の院を真っ先に目指すためロープウェイを使う(!)実際使うまでも無かったけど・・・。
多宝塔でロープウェイを降りて本殿で御参りをしてから奥の院へ続く道を登り魔王殿を目指す。
鞍馬山は深く空気が湿気を帯びている。木々の香りが強く、森林浴と呼ぶにはふさわしい山道をぱっぱと登っていく。なんかいつも俺は山登りする時はゆっくりゆっくり出来ない。さっさとぱっぱと登っていく方が足取りもスムースに自分にとっていいリズムで登っていける。
あ~、俺は人と一緒には山登りできないな~。
他に登っている人もいないので、一人で精霊を呼ぶ声を連呼しながら登ってくと大杉権現と言う立て看板があったので御参りしていく事にした。社の中で奉納の意を込めてヘニュードを吹く。
それからまた歩き出し、源義経が剣術を習ったと言われる道をとおり、ようやく目指す魔王殿へ。

いきなり山道からちょっとした境内に出た。山道をずっと歩いて来たせいか境内が一瞬魔方陣の様に見えた。真ん中に灯篭が立っている。社の中にはいると、中庭のようになっている所にたくさんのとんがった岩がゴロゴロしている。御参りした後、また奉納の意を込めてヘニュードを吹く。深い霊気が漂っている社の中で横になって眼を閉じ天啓を待っていた。20分も経っただろうか、いきなりおばさんの声でがやがやしだした。何人かのおばさんたちがお参りにやってきたようだ。めんどくさいので姿勢を崩さず寝たふりを決め込んでいると社に入ってきたおばさんがわざとらしく「ひゃっ!」といい「死んでんのかしら?」などという始末・・・ んなわけあるかい!
おばさん軍団はお参りする気もないらしく境内でくっちゃべっては水筒のお茶を飲んで去っていった。完全に気分を害された俺は、まぁこんなこともあるかって感じで次回一人になれる時間を見計らって来る事にした。
おばさん達が魔王殿で寝ている俺を見て「死んでんのかしら?」って言った言葉が頭の中をこだまする。

鞍馬天狗の姿を見るのはいつになるだろうか。
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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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※このブログに書いてある内容、その他の権利はマーキー・ジョモラ本人にあります。許可無く転載は一切する事が出来ません。
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