黒潮文化の流れ
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今回のツアーでは天狗がキーワードとなった。
最初に出会ったのは沼津の儀式が終わり、ノリ君に借りた軽トラックに乗って一人で富士山に行った時。
8年前、オーストラリアに行く前に俺は富士の樹海に飲み物も食い物も持たずにディジュリドゥ一本担いで、1月1日の午前2時、樹海に入った。
何でそんなことするの?って理解不能な人もいるだろうけど、心の琴線に触れられ本当にそれに惚れ込んでしまうと人は理性や論理的思考など無くなってしまう。頭の中はそれに占領されそれを掴む為にありとあらゆることを考えるもんだ。
その年の3月にオーストラリアに行く事が決まってた俺は、自分を試した。
ディジュリドゥを始めた時から俺はCDで聞いたアボリジニの音を出したくて出したくて毎日狂った様に練習していた。当然公園で練習してた俺はいろんなディジュリドゥ吹きに声をかけられ一緒に練習しようとか言われた。当時はコンテンポラリーでみんなで仲良く吹くみたいな風潮があった為、それが伝染し、みんな同じ様な吹き方をしていた。だから俺はそれを頑なに拒み、ひたすら一人で練習していた。
吹かない時はアボリジニの音源(kimberley地方のbush fireというアルバム)を聞き続けてたし、とにかくアボリジニの吹く熱い息吹を吹きたかった。3年程、そんな感じで根詰めて練習したが、全然出来ない・・・。どうやって力を入れて吹き込んでるのか全く解らない。
そこでオーストラリア行きを決めたが、果たしてオーストラリアに行ってアボリジニと出会いディジュリドゥを学ぶ事が出来るのか?当時はアーネムランドなんて知らなかったし、ジャルーの事も知らなかった。ただ、Bush fireに記載されてるKimberley mowwanjammの文字しか俺の頭には無く、その奏法が吹きたかった。でも独学でどうやってもその音が出ない。オーストラリア行っても吹ける様になれるかも分らない。テンパッた俺は、もしこの先オーストラリアに行って出会いが無ければ、樹海に入って出てくる事は無いだろう。もし、生きて出てこれれば、いい出会いがきっとあるはずだ。という結論に達し、決行した。
結局、山梨の精進湖から入り、全工程約53キロの道のり(樹海を横断して縦断した)を経て、静岡の富士宮に出た。樹海の中は散々だった。まず、縦横無人に走ってる獣道は全て5センチ位の霜が降りてて歩くたびに足を取られる。崖は登ることになるわ、悪霊に追いかけられるは、恐怖に取り憑かれそうになるわ・・・。なにやってんだ俺?なんて思う暇もない。歩かなきゃ恐怖に取り付かれる。とにかくまっすぐ、何があってもまっすぐ。とにかく歩いた。その途中いろんな事柄があったがここでは触れないことにする。
そして樹海を横断しきった時に俺は自分にとって本当に自分だけの聖地と呼べる場所に出たんだ。
それは美しい場所だった。
真冬の寒さに生えてるススキは枯れてる筈なのにまるで生命力を失っていない。
只、色が金色に輝いている。
地面は一面赤褐色の粒の揃った小石で敷き詰められてる。
いっぺんの雲も無い青空。
目の前には山頂に太陽を据えたでかい富士山。
吹く風は優しく頬を撫で、また何処に去ってゆく。
ここで俺は自分の守護霊に出会った。
それは幾多のつむじ風の中に立っていた。
ここが俺の人生にとって最大の聖地であることを俺はその時に確信した。
そんな経緯があって、今回ヤポネシア各地で儀式を興すにあたってもう一度その地を訪れようと思ったのだ。ネットの地図で大まかな場所を調べて道を調べ準備をしていった。
あそこまで苦労してたどりつた場所に簡単に行けるかは疑問だったけど、とにかく何か啓示を受けられればいい。
地図を頼りに富士の周りを車で回るが見覚えのあるあの風景は全く出てこない。もしかしたら地図に載ってない裏道で行くんじゃないだろうか?
ダダッ広い誰もいないカントリークラヴの端っこで車がはまった。ヤベー!こんなトコではまったら誰も助けに来てくれねーぞ!携帯の電波も圏外じゃん!
ギアをニュートラルにして一人で押して何とか脱出。
そうこうしても一向にあの景色は出てこない。
それでも諦め切れない俺は富士の5合目を目指し車を走らせた。
途中、富士山がとても綺麗に見える場所を通った。
何か道の脇に歩いていける横道が見えた。
妙に気になった俺は、あの場所に通じる道かもしれない!という思いで引き返してその場所へ車を止め、走って道を入っていった。
すると後から来た車もそれにつられたのか車を止め入ってきた。
そこも綺麗な砂利が敷き詰められ、ところどころに溶岩のような岩が転がっている広々とした気持ちのいい場所だった。屋根のある場所もありどうやら観光地のようだ。そういや入り口になんか看板立ってたな。よく見てなかったけど。
なんか物凄く気持ちのいい場所で屋根の下で眠ってしまった。
そうすると白い靄がかかったようなその場所の夢を見た。何か羽根のある人間が何人も(何匹もと言った方がしっくりくる動きだったな)溶岩の岩から岩へ飛び回ってる。
「・・・天狗だ!」
天狗がピョンピョン跳ね回ってる。何か踊ってるようでもある。
眼を覚ました俺は不思議な気持ちでその場を後にした。すると入り口付近で天狗岩という岩が置かれている。なるほど~。入り口のたて看板には御庭とも書かれている。
ここは天狗の遊ぶ御庭だったのだ。
その後、車に乗り込みドライヴしているとお店があり入ってみた。そこにはたくさんの山のものが売られてた。詳しくは触れないが天狗は百薬の長なんだなとその時に理解した。
富士山に行って帰ってくるとなぜか俺は生かされてるという事をリアルに感じるようになる。
やっぱり日本最大の聖地なんだな、富士山は。
ちなみに富士山はふちさんといってアイヌ語が由来。エカシ(男の長老)に対しフチ(老婆)のフチさん。つまり富士山は女形であり、人が産まれ来る女方の知恵者、ということが出来るんじゃないかな。
そんなこんなで今回のツアーと天狗の関係は形成された。
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Djulu Gurruwiwi(ジャルー・グルウィウィ)
オーストラリアの北部、アーネムランドには伝統的な生活を営んでいるアボリジニの部族が数多く暮らしているがジャルーは北東アーネムランドの部落Gunyangara(現地発音でコニャガラ)に暮らしている長老であり、イダキ(ディジュリドゥ、オーストラリア北部の人々が使う神聖な楽器)マスターでもあります。
日本にも2004年に来日し、世界中のディジュリドゥを吹く者ならばその名前を知らない人はいないくらいの神様的存在です。
僕は2000年に縁あってジャルーの村で共に過ごす事が出来、孫として受け入れられました。
その温かく、思慮深く、器のでかい人柄は、大げさではなく僕が初めて出会った生き神様と呼びたいと思います。これは実際に出会った人ならば誰もが感じる事だと思いますが、僕の感想としては、生き神様って本当にいたんだ・・・の一言です。
アボリジニの人々は非常に複雑な社会体制を持っており、ジャルーの社会的な位置を簡単に説明する事は非常に難しいですが、一般的に出来るだけ簡単に説明をすると下記のようになります。
<ドゥア半族>
世界中の先住民社会に多く見られますが、社会を二分する体系で、アボリジニの人々は陰陽の働きを全ての根本に見出していて、人間も父、母がいて新しい生命(子供)が生まれると言うことで父方、母方に半族として区分します。その中で父方がドゥア半族、母方がイリチャ半族です。
<ガルポクラン>
クランとは簡単に言うと共通する神話祖先を持つグループのことを言います。様々な部族はこのクランによって大まかに分けられる事が出来ますが、先の半族によってクランは分けられます。
ガルポとは槍投げ器を意味する言葉です。
<イナヅマの男>
ジャルーと言う名前は元々はジャルカルウィ(イナヅマ)からきています。そしてジャルーのトーテム(簡単に言うと守護霊)はウィテッチ(虹蛇)で天候を司る強力なパワーを持った精霊です。そしてウィテッチの時折出す出す舌がイナヅマに例えられています。
秋辺今吉
長い単筒笛・イオンカの継承者です。
アイヌ民族の最長老でもあり、阿寒湖の創立者でもあります。
道内外問わず大きなカムイノミ(神に願いを届ける儀礼)は最長老である秋辺今吉さんが祭司を務めます。
お年寄りを大事にするアイヌ文化では実質上アイヌ民族の代表でもあります。
波乱万丈の生涯を生き、様々な人々に影響を与えた存在は正に日本列島の宝と言っても過言ではありません。
その深い考察力、想像力、愛情とどれをとってもその人間力は右に出るものがありませんし、霊界や魂、カムイの世界や日本神話にも深い知識と経験を持っています。
2012年3月3日正午ちょうどに実年齢95歳で大往生されました。
石井ポンペ
1945年北海道勇払郡穂別町イエナップ生まれのアイヌ民族のエカシ(長老)です。
ヤポネシア(日本列島)に存在していた短い単筒笛、ヘニュードの伝承者です。
明るく、お茶目でやさしいエカシです。
世界中の先住民や他民族との共演や世界各地にアイヌ文化を広めるために演奏活動しています。
現在、自然に対する豊富な知識と配慮を生かして結城幸司さん率いるアイヌアートプロジェクトと共に知床エコツアーなどを行い、自然環境と人間の関係性を伝えています。
ポンペとは、ポン=小さな ・ ぺッ=川 という意味です。
オーストラリアの北部、アーネムランドには伝統的な生活を営んでいるアボリジニの部族が数多く暮らしているがジャルーは北東アーネムランドの部落Gunyangara(現地発音でコニャガラ)に暮らしている長老であり、イダキ(ディジュリドゥ、オーストラリア北部の人々が使う神聖な楽器)マスターでもあります。
日本にも2004年に来日し、世界中のディジュリドゥを吹く者ならばその名前を知らない人はいないくらいの神様的存在です。
僕は2000年に縁あってジャルーの村で共に過ごす事が出来、孫として受け入れられました。
その温かく、思慮深く、器のでかい人柄は、大げさではなく僕が初めて出会った生き神様と呼びたいと思います。これは実際に出会った人ならば誰もが感じる事だと思いますが、僕の感想としては、生き神様って本当にいたんだ・・・の一言です。
アボリジニの人々は非常に複雑な社会体制を持っており、ジャルーの社会的な位置を簡単に説明する事は非常に難しいですが、一般的に出来るだけ簡単に説明をすると下記のようになります。
<ドゥア半族>
世界中の先住民社会に多く見られますが、社会を二分する体系で、アボリジニの人々は陰陽の働きを全ての根本に見出していて、人間も父、母がいて新しい生命(子供)が生まれると言うことで父方、母方に半族として区分します。その中で父方がドゥア半族、母方がイリチャ半族です。
<ガルポクラン>
クランとは簡単に言うと共通する神話祖先を持つグループのことを言います。様々な部族はこのクランによって大まかに分けられる事が出来ますが、先の半族によってクランは分けられます。
ガルポとは槍投げ器を意味する言葉です。
<イナヅマの男>
ジャルーと言う名前は元々はジャルカルウィ(イナヅマ)からきています。そしてジャルーのトーテム(簡単に言うと守護霊)はウィテッチ(虹蛇)で天候を司る強力なパワーを持った精霊です。そしてウィテッチの時折出す出す舌がイナヅマに例えられています。
秋辺今吉
長い単筒笛・イオンカの継承者です。
アイヌ民族の最長老でもあり、阿寒湖の創立者でもあります。
道内外問わず大きなカムイノミ(神に願いを届ける儀礼)は最長老である秋辺今吉さんが祭司を務めます。
お年寄りを大事にするアイヌ文化では実質上アイヌ民族の代表でもあります。
波乱万丈の生涯を生き、様々な人々に影響を与えた存在は正に日本列島の宝と言っても過言ではありません。
その深い考察力、想像力、愛情とどれをとってもその人間力は右に出るものがありませんし、霊界や魂、カムイの世界や日本神話にも深い知識と経験を持っています。
2012年3月3日正午ちょうどに実年齢95歳で大往生されました。
石井ポンペ
1945年北海道勇払郡穂別町イエナップ生まれのアイヌ民族のエカシ(長老)です。
ヤポネシア(日本列島)に存在していた短い単筒笛、ヘニュードの伝承者です。
明るく、お茶目でやさしいエカシです。
世界中の先住民や他民族との共演や世界各地にアイヌ文化を広めるために演奏活動しています。
現在、自然に対する豊富な知識と配慮を生かして結城幸司さん率いるアイヌアートプロジェクトと共に知床エコツアーなどを行い、自然環境と人間の関係性を伝えています。
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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ
2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。
2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。
現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。
ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。
黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html
hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.
E-mail: marqueedjomula@gmail.com
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How to traditional style 初級者編
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CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。
2008MARQUEE DJOMULA ALL RIGHT RESERVED
※このブログに書いてある内容、その他の権利はマーキー・ジョモラ本人にあります。許可無く転載は一切する事が出来ません。
2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。
2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。
現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。
ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。
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