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黒潮文化の流れ
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丁度その頃、静岡県の沼津でもライヴをやっており、後の黒潮文化の会の素晴らしき仲間達とも出会っていました。
ある時早速チカラという頼もしい仲間に今吉さんの事を話し、部族社会に帰ろうって言うコンセプトのイベントで秋辺今吉さんのカムイノミ(カムイへ願いを届ける儀礼)やお話を聴くことが出来る祭りをやらないか?と話を持ちかけたところ二つ返事で「やりましょう」と返してくれました。
その後、三島エリアの仲間みんなで共有している箱根山脈にある太平洋の見える景色の素晴らしい山小屋を拠点に、太平洋をつなぐ文化の提唱をする為に黒潮文化の会が発足しました。


先ずは祭りをどこでやるか。


何箇所かめぼしいところを探して廻るけれどピンとこない。
ちょっと離れて下田まで行ってみるか?
下田に良い所有るんですよ、とチカラ。


着いたところは浜辺にあるでかい岩山。サザレ岩だ。
よく見ると浜から岩山の中に入っていける裂け目がある。
中に入っていくと突然巨大な伽藍堂が広がり、海に向かって2つの巨大なサザレ岩が重なった状態になっているのが分かりました。
そして海に開けた口の真ん中にもう一つ4メートル四方くらいのサザレ岩が据え置かれていました。

もう言うことはありませんでした。
僕もチカラもここに暗黙の了解で決めました。
車に乗って引き返す途中、今吉さんから電話がなりました。

今吉さん
「あー マーキーさんか? 昨日なぁ、 夢で洞窟に行ったんじゃよ。 
そいでなぁ、 その洞窟の主! こう、柿の色したブチ猫! 
それがなぁ、 たいそう暴れておるんじゃ。」


「はい?洞窟?今丁度洞窟に行ってきたんですけど、実は前に話してたカムイノミの件ここでやってもらおうと思っていたんですよ!」

今吉さん
「ほぉ! その洞窟、東へ向いているか?」


「ああ!東向いています!」

今吉さん
「やっぱり、何かあるんだねぇ。 そこに行ってイチャルパ(供養祭)せにゃいかん。」


「分りました。じゃあ祭りはここでやることにして進めます。」


そういう訳で何度も下田へ通い市役所や観光協会を回って準備をしていきました。
そうこうしている内にせっかく来てもらうんだったらゆっくり伊豆を回ってもらう感じでスケジュールを組もうという事になり14日間の壮大な計画を立てました。
その頃の今吉さんははち切れんばかりのパワーで、この祭りにも意気込んでくれました。



4月26日、伊豆はもう海水浴が出来るほど太陽が強い季節に、資金繰りで上手くいかなかったりもしましたが、黒潮会の仲間で協力して祭りを回し続けはじめました。

最初に行なった祭りの方は、直径20メートルあまりのストーンサークルを造って真ん中に長野県川上村で採れた水晶の原石10キロを置き、そこで秋辺今吉さん、石井ポンペさん、アイヌアートプロジェクト6人と北海道からアイヌが8人もやって来て、カムイノミ、音楽祭、ワークショップという大きな祭りを打ち出したのですが、思うように集客できず力不足でした。

しかし、カムイノミは凄まじく、普通はイヌンペという神聖な炉縁をきるのがカムイノミのしきたりですが、今吉さんは「そんなものは石できればいい」と言って石を並べさせました。
そして祭壇に入場する際には、後ろからポンペさんがヘニュードを吹きました。
祭壇に水晶を構え総勢8人のアイヌと和人が入り乱れ座り、静粛な雰囲気の中、今吉さんのカムイノミ・イタクが始まります。


「あぁぁ・・・ぺぇぇぇ・・・ふちぃぃぃ・・・かぁむぅいぃぃ・・・


地響きのような、野太い抑揚とこぶしが利いた言葉が謳われている。
炎がパチパチと音を立てる中迫り来る雷鳴のような言葉達。
もう薄暗くなった空には星が瞬き始めていました。

厳粛なカムイノミが終わりみんなでくつろいでいた時、一人の少年が「あ!UFOだ!」と叫びました。
たしかにその方角には揺れ動く4つの光が有りました。

今吉さん
「UFOも挨拶しに来てるよー おーい さぁ、みんなで挨拶して!
 UFOはねぇ、 アイヌ語で シンタ! 揺籠って意味なんだよー」

何事にも動じず、受け入れるお姿にいたく感動いたしました。


その日は夜通しライヴが繰り広げられ翌朝アイヌアートプロジェクト~石井ポンペさん~地元の和太鼓と進むにつれ、今吉さんも起きてきてライヴを楽しんでいました。
そして内田ボブさんが歌い終わった頃、今吉さんは我慢し切れなかった様子でマイクを取り、自らが経験したイオマンテのお話、歌、ハーモニカを演奏してくれました。


大きな祭りが一つ終わり今吉さんとポンペさんにはゆっくりしてもらおうという事で下田の海岸に程近い民宿を取り伊豆の太陽を楽しんでもらいました。
その間黒潮会はワークショップや会場設営など駆け回り切り盛りしてくれました。



2008年5月、南伊豆の真夏の様な日差しと空模様の中、麦わら帽子にサングラスをかけた今吉さんが今でもハッキリと脳裏に焼き付いています。








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2012年3月3日土曜日正午、アイヌの聖数3が並ぶ日にアイヌ民族の偉大な最長老であり、イオンカの継承者である秋辺今吉さんが天に昇られました。享年95歳で老衰、大往生でした。(6つの冬を超えた頃に入籍した為、戸籍上では89歳です)



秋辺今吉さんを初めて知ったのは、遠い南の島、常夏の石垣島でした。
当時、観葉植物の農場で働いていたのですが、暑いビニールハウスの中でいろんな観葉植物の挿し木を剪定する仕事でいつもラジオを聴きながら作業していました。

当時僕はジャルーから遠い日本人の祖先がこの村(コニャガラ)にやって来たという唄を教えてもらった後で、「もしかしたら日本列島にイダキと同じ原理の楽器があるかもしれない!」と思っていて、在るなら沖縄だろうという直感の下、石垣島に今の妻と居を据えてフィールドワークし、祭りに参加しながら探していました。

ある暑い夏真っ盛りの日でした。ビニールハウス内の水耕栽培システムから立ち上る湿気とビニール越しの強い太陽が意識を朦朧とさせ、永遠と挿し木を剪定するといった単調作業も日頃のおしゃべりも覚束ない中、ラジオからアナウンサーの声が湿った空気に響きました。

女性の声
「今日は、阿寒湖からお越しくださった~~~さんが楽器を演奏~~…」


しわがれた声
「え~! これはねぇ、 アイヌの~~~~...

ボォォォーーーオオオオォォォ・・・・」
 


え・・・?嫁と顔を見合わせました。当時一緒に働いていた和義君、エミちゃんとも顔を見合わせました。

なんて言う人だった!?名前は!?
阿寒湖って言ってたよね!?

やっぱり在ったんだ!日本にもイダキと同じような笛が在ったんだ!

そうして興奮覚めやらず暫くして石垣島を後にし、当時の実家である千葉を拠点に北海道へ通う生活が始まる事になるのです。

存在が在ったことは解った。
問題はあのラジオに出演されていた人が誰なのか、である。
ヒントは阿寒湖、しわがれた声。のみ。

とにかく調べてみるとアイヌ協会なるものがあることが判り、問い合わせをして経緯を事細かに説明してみた。
思いっきり個人的な事と受け取られるだろうし相手にもしてくれないかもなと内心思っていたが一週間待ってくれという快い返事を頂いた。

一週間後アイヌ協会から連絡があり
「札幌に石井ポンペさんという方がいらっしゃいましてその方がその笛を伝承されています。他には見当たりません」
と、連絡先を教えて頂きました。

阿寒湖と言ってた筈だけど、他にも継承されている方がいるのかな?
と思いながら石井ポンペさんに手紙を書き、お会いしたい旨を伝えました。

それからポンペさんとのお付き合いが始まり、アイヌアートプロジェクトとの付き合いも始まりました。
ポンペさんと丁度初めて会いに行くときに、ミクシーで札幌のディジュリドゥを精力的にやっている聖君が札幌に来るなら是非ライヴとワークショップをやって欲しいとの依頼があり、それ以来付き合いが続いています。
2005~6年頃の話です。

その後阿寒湖にも行く機会が有りましたが、探している先で口論になってしまったりで阿寒湖では見つける事が出来ないでいました。
何回か北海道でライヴ&ワークショップをやっていたある時、冬でしたが、聖君が興奮して話してきました。

「マーキーさん!こないだ何処其処のカフェでヘニュード吹いてたら、それ今吉オジサンもやってる。って言うんですよー!阿寒湖の人らしいです!電話番号ゲットしてきました!」

「マジでー!聖君!よくやった!一緒に会いにいこうぜ!」


こうやって今吉さんの連絡先を知りえて有頂天になった僕は聖君から教えてもらった電話番号に緊張して電話をかけた。


「初めまして!えー、コレコレこういう者ですが、笛をやっていらっしゃるという話を聞いて、是非お会いしたいのですが!」

今吉さん
「あ‘‘ぁー!? おお! おお! ・・・笛?
あー! そりゃ、 イオンカじゃ!」


「イオンカ!?イオンカって言うんですね!?その笛のこと!是非お会いして話を聞きたいです!明日でも構いません!」

今吉さん
「おお、 車で来るんじゃ明後日が良いじゃろ。明後日、何時にする?」


「明後日10時頃はどうでしょうか?」

今吉さん
「頃ぉ? 頃じゃない! 10時なら10時キッカリ! 一分一秒たりとも違わず10時!」


「分かりました!10時キッカリに阿寒湖へ伺います!」


すぐさま聖君と連絡を取り阿寒湖へ向かいました。


阿寒湖の立派なアイヌコタン。
コタンの入口には大きなシマフクロウが見事に羽ばたき華やかな彫刻が施された店構えは遥昔に置いてきた高度な縄文文化を思い出させます。
その通りの一番奥であり、中心部に据え置かれているのが大きな茅葺きのアイヌ劇場オンネチセ。
その左側に家があるからそこに来いとの話で聖君と待っていました。
観光地としてはまだ早い時間でやっと起きだした町が朝靄を拭おうとしている中、軽トラックが近づいてきました。
もちろん時間を気にしていた僕らは時計を見ていましたが10時キッカリでした。
中には立派なヒゲを蓄えた老人が乗っています。

聖君
「あの人かな?あの人ですよ!きっと!」


「あのー、秋辺今吉さんですか?」

今吉さん
「おお、 そうじゃ。」


「初めまして、マーキーと言います。こちらは友人の聖君です。喫茶店でも行ってお茶でもしながらイオンカについてお話をお聴きしたいのですがどうでしょうか?」

今吉さん
「おお、 良いよ」


こうしてコタンの真ん中辺りの2階にある喫茶店で珈琲を飲みながらお話を聴かせてもらえることになりました。
思っていたよりも御高齢である事、そのハンパない存在感、空気。
僕も聖君も想像していた、いや、理想としていた存在が目の前に現れた事に興奮を隠せないでいました。


珈琲に砂糖とミルクは入れない。
タバコは軽いのをたまに吸う程度。

話す間合い。
見事な髭から語り出てくる日本神話の神々。
皺が刻まれた無骨な手から書き出される達筆な神々の名前。
遠い昔、日本列島にはアイヌが住んでいたこと。
そして、お父さんからイオンカを教えてもらったこと。


話は盛り上がり意気投合した僕はポンペさんから譲って貰って調律したヘニュードを吹きました。


今吉さん
「これが、原始の音。 今の音楽はこういう原始の音が足りん。」


有り難いお言葉でした。


そうこうしてイオンカ継承者である秋辺今吉さんとの付き合いが始まりました。
2007年頃の話です。



想像を超えた大変な局面を日本、いや北半球は迎えておりますが、皆様それぞれ思い思いの心構えで毎日を過ごしている事と思います。

僕の方は相も変わらず漆と格闘している日々です。
3 月11日に事が起こってから1ヶ月程は怒りや悲しみ、絶望感に苛まされていましたが、胡散臭い現代社会のメッキがボロボロと剥がれ落ちこの社会の実態が露 わにされた事はこの先(人類が初めて遭遇している未曽有の出来事である為どうなるか正直分かりませんが)を想像していく上で個人の在り方を再考する良い機 会であると認識しております。

想うところは沢山あるのですが、とまらなくなってしまうので止めておきます。
とにかく放射能から身を守る事を考え防御策を立てていく事が必要不可欠と思います。
因みに僕の場合、外からラジウム鉱石と内から乳酸菌で対処しています。

特にマクロファージを増やすと呼ばれる乳酸菌や発酵菌には放射能を外に排出する力があり常日頃から取るよう心掛けていく必要がありそうです。

興味ある方は乳酸菌液の作り方で検索すれば米のとぎ汁から作る乳酸菌液の作り方が出てきますので見てみて下さい。



さて、話は変わりますが、悪戦苦闘した結果ようやく納得のいく総漆ヘニュード・イオンカが今月中には何本か出来上がりそうです。是非とも御期待下さい。

製作に全神経を費やしていた為、ネット関係が滞ってしまい楽しみにしていてくれている方々には不義理を致しておりますが作業が落ち着いてきたら動かしていきますので温かく見守って頂きたいと思っています。

この日本列島に、運命を司るカムイ達へ良き未来の到来を共に願い語りかけていきましょう。
それが出来るのは自然界においてあまりに弱者である人間の唯一の能力ではないかと思うのです。


これから先も油断なりません。福島のことはもちろん、関西地区でも敦賀2号機の放射能漏れに注意を払いつつ、事が起きたらすぐに対処できるよう行動していきましょう。
大変な時代ですが、サバイバルは既に始まっています。
自分と大切な人の身は自分で護るしか有りません。

心はいつも一緒にいます。共に生きましょう。



マーキー・ジョモラ


結城さんの義理の弟、ノブと話をしていて僕の心情を書いた方がいいと言うことになったので書こうと思います。

なぜ、アボリジニの伝統奏法を長い事やっているのにアイヌ民族のヘニュード・イオンカの復興に尽力しているのか?

これはわかってもらえているだろうと思っていたのですが、口に出さなければわからない事も世の中には沢山有るわけでして…

まして僕の性格上なかなか口に出しづらく(だってなんか自分で言うのカッコ悪い感じするし…)、気付いたら今まで口外していませんでした。。。そんな事が沢山あるのですが、とりあえずこれは言っておこうと思います。


初めて人生の師ジャルーから

「遠い遠い昔今の日本列島からカヌーでやってきた人々がこの土地を訪れ、この土地の人々と儀式を共にし、また旅立っていった。今でもこの土地の人々はその唄を歌い継いでいる…」

という言葉を聞いたときから僕のディジュリドゥのルーツを辿る旅は始まったのです。

いろいろとフィールドワークをしたり、文献を当たって北米を除く環太平洋にその存在が在ることを知ったのです。
それを繋いでいくとどうしてもこの日本列島の先住民、アイヌ民族が今に残すヘニュード・イオンカがその原点であるとしか思えない事実に至りました。

つまり、日本列島の縄文という存在です。


ジャルーは僕にイダキの伝統奏法、製造法を惜しげもなく与えてくれました。
アボリジニの伝統奏法は2000年間練り上げ外部に漏らさずに、熟成された紛れもなくディジュリドゥ最高の奏法です。

そしてヘニュード・イオンカは環太平洋における間違いなくディジュリドゥの原点です。



日本列島から長い時を経てオーストラリアへ…

そして今この時代に最高のアボリジニの伝統奏法をもってして原点のヘニュード・イオンカに吹き込む。
これは自分で言うのもなんですが、一つのディジュリドゥ文化における節目であると思っています。
そしてこれが僕の心情であり、動力源です。

決して浮ついた理由で、アボリジニの伝統奏法だアイヌ民族のディジュリドゥだ、でやっていることではありません。

ジャルーが僕に託したカヌーソング。
これは僕に課した使命なんだと信じています。


そしてそれが一段階進んだらまたジャルーに会いにいきます。


こっぱずかしい事ですが、こんな事情なわけです。。。
 


明けましておめでとうございます。
今年も黒潮アートギャラリー共々よろしくお願いします!

来る2月25日北海道で行われる国体でのオープニングをアイヌアートプロジェクトが飾る事になりました!
今から楽しみです!
ソロ活動の方では富士山周辺でヘニュード・イオンカを広めるべく活動して行きますのでよろしくです!

今年も一年皆様にとっていい年でありますように!!!
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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



2008MARQUEE DJOMULA ALL RIGHT RESERVED
※このブログに書いてある内容、その他の権利はマーキー・ジョモラ本人にあります。許可無く転載は一切する事が出来ません。
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