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黒潮文化の流れ
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2012年3月3日土曜日正午、アイヌの聖数3が並ぶ日にアイヌ民族の偉大な最長老であり、イオンカの継承者である秋辺今吉さんが天に昇られました。享年95歳で老衰、大往生でした。(6つの冬を超えた頃に入籍した為、戸籍上では89歳です)



秋辺今吉さんを初めて知ったのは、遠い南の島、常夏の石垣島でした。
当時、観葉植物の農場で働いていたのですが、暑いビニールハウスの中でいろんな観葉植物の挿し木を剪定する仕事でいつもラジオを聴きながら作業していました。

当時僕はジャルーから遠い日本人の祖先がこの村(コニャガラ)にやって来たという唄を教えてもらった後で、「もしかしたら日本列島にイダキと同じ原理の楽器があるかもしれない!」と思っていて、在るなら沖縄だろうという直感の下、石垣島に今の妻と居を据えてフィールドワークし、祭りに参加しながら探していました。

ある暑い夏真っ盛りの日でした。ビニールハウス内の水耕栽培システムから立ち上る湿気とビニール越しの強い太陽が意識を朦朧とさせ、永遠と挿し木を剪定するといった単調作業も日頃のおしゃべりも覚束ない中、ラジオからアナウンサーの声が湿った空気に響きました。

女性の声
「今日は、阿寒湖からお越しくださった~~~さんが楽器を演奏~~…」


しわがれた声
「え~! これはねぇ、 アイヌの~~~~...

ボォォォーーーオオオオォォォ・・・・」
 


え・・・?嫁と顔を見合わせました。当時一緒に働いていた和義君、エミちゃんとも顔を見合わせました。

なんて言う人だった!?名前は!?
阿寒湖って言ってたよね!?

やっぱり在ったんだ!日本にもイダキと同じような笛が在ったんだ!

そうして興奮覚めやらず暫くして石垣島を後にし、当時の実家である千葉を拠点に北海道へ通う生活が始まる事になるのです。

存在が在ったことは解った。
問題はあのラジオに出演されていた人が誰なのか、である。
ヒントは阿寒湖、しわがれた声。のみ。

とにかく調べてみるとアイヌ協会なるものがあることが判り、問い合わせをして経緯を事細かに説明してみた。
思いっきり個人的な事と受け取られるだろうし相手にもしてくれないかもなと内心思っていたが一週間待ってくれという快い返事を頂いた。

一週間後アイヌ協会から連絡があり
「札幌に石井ポンペさんという方がいらっしゃいましてその方がその笛を伝承されています。他には見当たりません」
と、連絡先を教えて頂きました。

阿寒湖と言ってた筈だけど、他にも継承されている方がいるのかな?
と思いながら石井ポンペさんに手紙を書き、お会いしたい旨を伝えました。

それからポンペさんとのお付き合いが始まり、アイヌアートプロジェクトとの付き合いも始まりました。
ポンペさんと丁度初めて会いに行くときに、ミクシーで札幌のディジュリドゥを精力的にやっている聖君が札幌に来るなら是非ライヴとワークショップをやって欲しいとの依頼があり、それ以来付き合いが続いています。
2005~6年頃の話です。

その後阿寒湖にも行く機会が有りましたが、探している先で口論になってしまったりで阿寒湖では見つける事が出来ないでいました。
何回か北海道でライヴ&ワークショップをやっていたある時、冬でしたが、聖君が興奮して話してきました。

「マーキーさん!こないだ何処其処のカフェでヘニュード吹いてたら、それ今吉オジサンもやってる。って言うんですよー!阿寒湖の人らしいです!電話番号ゲットしてきました!」

「マジでー!聖君!よくやった!一緒に会いにいこうぜ!」


こうやって今吉さんの連絡先を知りえて有頂天になった僕は聖君から教えてもらった電話番号に緊張して電話をかけた。


「初めまして!えー、コレコレこういう者ですが、笛をやっていらっしゃるという話を聞いて、是非お会いしたいのですが!」

今吉さん
「あ‘‘ぁー!? おお! おお! ・・・笛?
あー! そりゃ、 イオンカじゃ!」


「イオンカ!?イオンカって言うんですね!?その笛のこと!是非お会いして話を聞きたいです!明日でも構いません!」

今吉さん
「おお、 車で来るんじゃ明後日が良いじゃろ。明後日、何時にする?」


「明後日10時頃はどうでしょうか?」

今吉さん
「頃ぉ? 頃じゃない! 10時なら10時キッカリ! 一分一秒たりとも違わず10時!」


「分かりました!10時キッカリに阿寒湖へ伺います!」


すぐさま聖君と連絡を取り阿寒湖へ向かいました。


阿寒湖の立派なアイヌコタン。
コタンの入口には大きなシマフクロウが見事に羽ばたき華やかな彫刻が施された店構えは遥昔に置いてきた高度な縄文文化を思い出させます。
その通りの一番奥であり、中心部に据え置かれているのが大きな茅葺きのアイヌ劇場オンネチセ。
その左側に家があるからそこに来いとの話で聖君と待っていました。
観光地としてはまだ早い時間でやっと起きだした町が朝靄を拭おうとしている中、軽トラックが近づいてきました。
もちろん時間を気にしていた僕らは時計を見ていましたが10時キッカリでした。
中には立派なヒゲを蓄えた老人が乗っています。

聖君
「あの人かな?あの人ですよ!きっと!」


「あのー、秋辺今吉さんですか?」

今吉さん
「おお、 そうじゃ。」


「初めまして、マーキーと言います。こちらは友人の聖君です。喫茶店でも行ってお茶でもしながらイオンカについてお話をお聴きしたいのですがどうでしょうか?」

今吉さん
「おお、 良いよ」


こうしてコタンの真ん中辺りの2階にある喫茶店で珈琲を飲みながらお話を聴かせてもらえることになりました。
思っていたよりも御高齢である事、そのハンパない存在感、空気。
僕も聖君も想像していた、いや、理想としていた存在が目の前に現れた事に興奮を隠せないでいました。


珈琲に砂糖とミルクは入れない。
タバコは軽いのをたまに吸う程度。

話す間合い。
見事な髭から語り出てくる日本神話の神々。
皺が刻まれた無骨な手から書き出される達筆な神々の名前。
遠い昔、日本列島にはアイヌが住んでいたこと。
そして、お父さんからイオンカを教えてもらったこと。


話は盛り上がり意気投合した僕はポンペさんから譲って貰って調律したヘニュードを吹きました。


今吉さん
「これが、原始の音。 今の音楽はこういう原始の音が足りん。」


有り難いお言葉でした。


そうこうしてイオンカ継承者である秋辺今吉さんとの付き合いが始まりました。
2007年頃の話です。



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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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