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黒潮文化の流れ
民宿に泊まっている間、様々な人が訪れ、中には吃驚するほど神懸りな人もいました。
今吉さんはどんな人が来ても受け入れました。

今吉さん
「いや~、 すごいねえ。 あれほどの神懸りはうちの母親以来初めて会ったかも知らん」

様々なカムイノミの祭司を執り行ってきた今吉さんは、霊界の事、魂の事、カムイの事について深い経験と知識を持っていました。
アイヌはカムイノミに対して命懸けで挑むといいます。それは、カムイノミ・イタクがきちんと間違えずに唱えられ、カムイを喜ばすことが出来なければ、もしカムイに失礼が生じ、怒らせてしまったら、その代償はカムイノミに参加した誰かに不幸として降りかかってくると言われているからです。


そしていよいこのイベントのメインである洞窟でのイチャルパ、ライヴが始まります。

空の太陽がだいぶ傾き、ターコイズブルーの海が藍色へ変わり、夕日が水面にそっと色添えた頃、沢山のお客さんに囲まれイチャルパが始まりました。
普通カムイノミやイチャルパは太陽の出ている内に行うのがしきたりとされ、多くは正午頃執り行われますが、今吉さんはこのイベント期間のカムイノミは夕方にこだわっていました。何故なのかはお話されませんでした。

地響きのようなカムイノミ・イタクが始まり、夕闇に染まり始めた辺りは洞窟の岩肌と相まって荘厳な世界を作り上げていました。大勢のお客さんにはなんの為のイチャルパなのか、伝えきれ無い事は承知で、一応経緯はお話していましたが、かがり火だけで岩肌に写った影に柿の色をしたブチ猫が見えた気がしました。
柿の色をしたブチ猫、それは西表山猫ではないですか。本来日本列島には奈良時代に今の猫たちがやってくるずっと前から野生には柿の色したブチ猫がいたのかもしれません。
いや、今吉さんが夢で会ったということはきっとそうなのでしょう。

見事なカムイノミ・イタクが終わると今吉さんは立ち上がりみんなに言いました。

今吉さん
「さーあ! 踊るよー! イチャルパが終わるとね、先祖や見えない存在と一緒に踊るんだよー!」

と言ってタプカラを舞い始めました。タプカラとは海にいた原初の人間の祖先が陸に上がってくる際、立ち上がって二足歩行を始めたことに起因する舞いで、最も古い舞いだとも言われています。両手のひらを空に向け、人間が天より初めて賜った言葉「あ」に抑揚をつけ、ずっと連呼しながら力足を踏みます。

「ああぁあ あああぁあ ああああああぁあぁあぁ・・・・」

みんな初めて見るその舞いに騒然となり立ち上がり、輪になってキラキラした目で今吉さんを見つめました。
僕は必死になってイオンカを吹いていました。
今吉さんのタプカラに触発された女性も舞い始めました。
人だかりと踊る人、周りに響く聖なる「あ」の言葉、かがり火で映し出される蠢く影。


正に原初のスピリットが降りてきている、その場にいた誰もがそう感じていたと思います。


惜しまれながらも踊りを終えると、今吉さんは祭壇へ戻りタバコを一服しはじめました。
それと同時に洞窟内でのライヴが始まりました。
今吉さんは12時からの自分の出番に備えるため、民宿に一旦戻って休むと言われました。

演目は次々と順調に進み、400人以上来てるのではないかという位の人で洞窟はごった返していました。
どのライヴも盛り上がり、かがり火と照明2つだけの洞窟内は幻想的な空間を作り出していました。

そしていよいよ、秋辺今吉エカシによるストーリーテリングの時間が近づいてきました。
僕は今吉さんを迎えに行き、大きい洞窟の入口から今吉さんをステージに上がってもらおうと連れていきました。
大きな入口は階段でそのままステージに降りられるようになっていました。

今吉さんは足の状態があまり思わしくなく、階段の昇り降りがきつそうです。
僕とチカラが両脇から支え、歩く補助をしましたが、うまく足が動いてくれません。
ステージ上はもう前のバンドが終わり、SEで場をつないでいる状態で、会場は今吉さんを今か今かと待ちわびている状況でした。

すると突然

「えぇ~い! 秋辺今吉! 頑張れ! しっかりしろ! 何の為にここまで来たんだ!」


今吉さんは自分に向かって、自分の足に向かってそう叫びました。
一瞬僕もチカラもビックリしましたが、すぐに意味が解り涙が溢れ出そうになりました。
今吉さんは僕らには気丈でパワフルな態度しか見せていませんでしたが、当時90歳の御歳でこの長旅は決して容易い物ではなかったのです。

なんとか階段をおりきり、照明とかがり火に照らされた秋辺今吉エカシはそれはそれは見事な出で立ちでした。
頭に付けた王冠の様なパウンペ。時代を感じさせる華やかな陣羽織。見事な刺繍が入った着物。
そして立派に蓄えられた髭。

会場は静けさに支配され、固唾を飲む音だけが聞こえる様な、そんな期待感の中、今吉エカシは静かに語り始めました。


幼い頃、自分の家で子熊を飼う事になった事。
ゴンタと名付けた事。
山野をゴンタと駆け回った事。
ゴンタと一緒に眠った事。
ゴンタと一緒にご飯を食べた事。

・・・そして、イオマンテ(熊送り)で母親の元にゴンタを送る時の事。


今吉さんは声を張り上げて言いました。
イオマンテは残酷だと。
幼かった自分にとって兄弟同然で過ごしたゴンタを殺すなど耐えきれるものではなかったと。

会場で聞いていた人達の中からすすり泣きが聞こえ始めました。
大泣きしている女性もいました。


そしてアカペラで自らが作った歌「イオマンテ」を唄い始めました。




イオマンテ 燃えよかがり火 天まで上がれ

肌に 暖め 育てた 子熊

明日は お別れ イオマンテ イオマンテ イオマンテ


イオマンテ 今宵お祭り メノコよ踊れ

踊る メノコの すすり泣き

泣くな 子熊よ もらい泣き イオマンテ イオマンテ


イオマンテ 今宵お別れ 御母の星座(ほしざ)

あまえて 暮らせ いつまでも

暴れて 暮らせ いつまでも イオマンテ イオマンテ




洞窟内は哀しみに包まれ、今吉さんの歌は洞窟から海へ、そして夜の星空に溶けて行きました。
私たちは命をどう捉えているでしょうか?
スーパーで綺麗にパックされた肉を見て命の尊さを感じることが出来るのでしょうか?
生きるとはどういうことなのでしょうか?

今吉さんは約40分間のお話を通じてその事を伝え終えるとステージを後にし、僕とチカラに支えられ、階段を上り始めました。


洞窟には魂を打たれ呆然となった人々を静かに癒すように優しい波の音だけが響いていました。






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丁度その頃、静岡県の沼津でもライヴをやっており、後の黒潮文化の会の素晴らしき仲間達とも出会っていました。
ある時早速チカラという頼もしい仲間に今吉さんの事を話し、部族社会に帰ろうって言うコンセプトのイベントで秋辺今吉さんのカムイノミ(カムイへ願いを届ける儀礼)やお話を聴くことが出来る祭りをやらないか?と話を持ちかけたところ二つ返事で「やりましょう」と返してくれました。
その後、三島エリアの仲間みんなで共有している箱根山脈にある太平洋の見える景色の素晴らしい山小屋を拠点に、太平洋をつなぐ文化の提唱をする為に黒潮文化の会が発足しました。


先ずは祭りをどこでやるか。


何箇所かめぼしいところを探して廻るけれどピンとこない。
ちょっと離れて下田まで行ってみるか?
下田に良い所有るんですよ、とチカラ。


着いたところは浜辺にあるでかい岩山。サザレ岩だ。
よく見ると浜から岩山の中に入っていける裂け目がある。
中に入っていくと突然巨大な伽藍堂が広がり、海に向かって2つの巨大なサザレ岩が重なった状態になっているのが分かりました。
そして海に開けた口の真ん中にもう一つ4メートル四方くらいのサザレ岩が据え置かれていました。

もう言うことはありませんでした。
僕もチカラもここに暗黙の了解で決めました。
車に乗って引き返す途中、今吉さんから電話がなりました。

今吉さん
「あー マーキーさんか? 昨日なぁ、 夢で洞窟に行ったんじゃよ。 
そいでなぁ、 その洞窟の主! こう、柿の色したブチ猫! 
それがなぁ、 たいそう暴れておるんじゃ。」


「はい?洞窟?今丁度洞窟に行ってきたんですけど、実は前に話してたカムイノミの件ここでやってもらおうと思っていたんですよ!」

今吉さん
「ほぉ! その洞窟、東へ向いているか?」


「ああ!東向いています!」

今吉さん
「やっぱり、何かあるんだねぇ。 そこに行ってイチャルパ(供養祭)せにゃいかん。」


「分りました。じゃあ祭りはここでやることにして進めます。」


そういう訳で何度も下田へ通い市役所や観光協会を回って準備をしていきました。
そうこうしている内にせっかく来てもらうんだったらゆっくり伊豆を回ってもらう感じでスケジュールを組もうという事になり14日間の壮大な計画を立てました。
その頃の今吉さんははち切れんばかりのパワーで、この祭りにも意気込んでくれました。



4月26日、伊豆はもう海水浴が出来るほど太陽が強い季節に、資金繰りで上手くいかなかったりもしましたが、黒潮会の仲間で協力して祭りを回し続けはじめました。

最初に行なった祭りの方は、直径20メートルあまりのストーンサークルを造って真ん中に長野県川上村で採れた水晶の原石10キロを置き、そこで秋辺今吉さん、石井ポンペさん、アイヌアートプロジェクト6人と北海道からアイヌが8人もやって来て、カムイノミ、音楽祭、ワークショップという大きな祭りを打ち出したのですが、思うように集客できず力不足でした。

しかし、カムイノミは凄まじく、普通はイヌンペという神聖な炉縁をきるのがカムイノミのしきたりですが、今吉さんは「そんなものは石できればいい」と言って石を並べさせました。
そして祭壇に入場する際には、後ろからポンペさんがヘニュードを吹きました。
祭壇に水晶を構え総勢8人のアイヌと和人が入り乱れ座り、静粛な雰囲気の中、今吉さんのカムイノミ・イタクが始まります。


「あぁぁ・・・ぺぇぇぇ・・・ふちぃぃぃ・・・かぁむぅいぃぃ・・・


地響きのような、野太い抑揚とこぶしが利いた言葉が謳われている。
炎がパチパチと音を立てる中迫り来る雷鳴のような言葉達。
もう薄暗くなった空には星が瞬き始めていました。

厳粛なカムイノミが終わりみんなでくつろいでいた時、一人の少年が「あ!UFOだ!」と叫びました。
たしかにその方角には揺れ動く4つの光が有りました。

今吉さん
「UFOも挨拶しに来てるよー おーい さぁ、みんなで挨拶して!
 UFOはねぇ、 アイヌ語で シンタ! 揺籠って意味なんだよー」

何事にも動じず、受け入れるお姿にいたく感動いたしました。


その日は夜通しライヴが繰り広げられ翌朝アイヌアートプロジェクト~石井ポンペさん~地元の和太鼓と進むにつれ、今吉さんも起きてきてライヴを楽しんでいました。
そして内田ボブさんが歌い終わった頃、今吉さんは我慢し切れなかった様子でマイクを取り、自らが経験したイオマンテのお話、歌、ハーモニカを演奏してくれました。


大きな祭りが一つ終わり今吉さんとポンペさんにはゆっくりしてもらおうという事で下田の海岸に程近い民宿を取り伊豆の太陽を楽しんでもらいました。
その間黒潮会はワークショップや会場設営など駆け回り切り盛りしてくれました。



2008年5月、南伊豆の真夏の様な日差しと空模様の中、麦わら帽子にサングラスをかけた今吉さんが今でもハッキリと脳裏に焼き付いています。








2012年3月3日土曜日正午、アイヌの聖数3が並ぶ日にアイヌ民族の偉大な最長老であり、イオンカの継承者である秋辺今吉さんが天に昇られました。享年95歳で老衰、大往生でした。(6つの冬を超えた頃に入籍した為、戸籍上では89歳です)



秋辺今吉さんを初めて知ったのは、遠い南の島、常夏の石垣島でした。
当時、観葉植物の農場で働いていたのですが、暑いビニールハウスの中でいろんな観葉植物の挿し木を剪定する仕事でいつもラジオを聴きながら作業していました。

当時僕はジャルーから遠い日本人の祖先がこの村(コニャガラ)にやって来たという唄を教えてもらった後で、「もしかしたら日本列島にイダキと同じ原理の楽器があるかもしれない!」と思っていて、在るなら沖縄だろうという直感の下、石垣島に今の妻と居を据えてフィールドワークし、祭りに参加しながら探していました。

ある暑い夏真っ盛りの日でした。ビニールハウス内の水耕栽培システムから立ち上る湿気とビニール越しの強い太陽が意識を朦朧とさせ、永遠と挿し木を剪定するといった単調作業も日頃のおしゃべりも覚束ない中、ラジオからアナウンサーの声が湿った空気に響きました。

女性の声
「今日は、阿寒湖からお越しくださった~~~さんが楽器を演奏~~…」


しわがれた声
「え~! これはねぇ、 アイヌの~~~~...

ボォォォーーーオオオオォォォ・・・・」
 


え・・・?嫁と顔を見合わせました。当時一緒に働いていた和義君、エミちゃんとも顔を見合わせました。

なんて言う人だった!?名前は!?
阿寒湖って言ってたよね!?

やっぱり在ったんだ!日本にもイダキと同じような笛が在ったんだ!

そうして興奮覚めやらず暫くして石垣島を後にし、当時の実家である千葉を拠点に北海道へ通う生活が始まる事になるのです。

存在が在ったことは解った。
問題はあのラジオに出演されていた人が誰なのか、である。
ヒントは阿寒湖、しわがれた声。のみ。

とにかく調べてみるとアイヌ協会なるものがあることが判り、問い合わせをして経緯を事細かに説明してみた。
思いっきり個人的な事と受け取られるだろうし相手にもしてくれないかもなと内心思っていたが一週間待ってくれという快い返事を頂いた。

一週間後アイヌ協会から連絡があり
「札幌に石井ポンペさんという方がいらっしゃいましてその方がその笛を伝承されています。他には見当たりません」
と、連絡先を教えて頂きました。

阿寒湖と言ってた筈だけど、他にも継承されている方がいるのかな?
と思いながら石井ポンペさんに手紙を書き、お会いしたい旨を伝えました。

それからポンペさんとのお付き合いが始まり、アイヌアートプロジェクトとの付き合いも始まりました。
ポンペさんと丁度初めて会いに行くときに、ミクシーで札幌のディジュリドゥを精力的にやっている聖君が札幌に来るなら是非ライヴとワークショップをやって欲しいとの依頼があり、それ以来付き合いが続いています。
2005~6年頃の話です。

その後阿寒湖にも行く機会が有りましたが、探している先で口論になってしまったりで阿寒湖では見つける事が出来ないでいました。
何回か北海道でライヴ&ワークショップをやっていたある時、冬でしたが、聖君が興奮して話してきました。

「マーキーさん!こないだ何処其処のカフェでヘニュード吹いてたら、それ今吉オジサンもやってる。って言うんですよー!阿寒湖の人らしいです!電話番号ゲットしてきました!」

「マジでー!聖君!よくやった!一緒に会いにいこうぜ!」


こうやって今吉さんの連絡先を知りえて有頂天になった僕は聖君から教えてもらった電話番号に緊張して電話をかけた。


「初めまして!えー、コレコレこういう者ですが、笛をやっていらっしゃるという話を聞いて、是非お会いしたいのですが!」

今吉さん
「あ‘‘ぁー!? おお! おお! ・・・笛?
あー! そりゃ、 イオンカじゃ!」


「イオンカ!?イオンカって言うんですね!?その笛のこと!是非お会いして話を聞きたいです!明日でも構いません!」

今吉さん
「おお、 車で来るんじゃ明後日が良いじゃろ。明後日、何時にする?」


「明後日10時頃はどうでしょうか?」

今吉さん
「頃ぉ? 頃じゃない! 10時なら10時キッカリ! 一分一秒たりとも違わず10時!」


「分かりました!10時キッカリに阿寒湖へ伺います!」


すぐさま聖君と連絡を取り阿寒湖へ向かいました。


阿寒湖の立派なアイヌコタン。
コタンの入口には大きなシマフクロウが見事に羽ばたき華やかな彫刻が施された店構えは遥昔に置いてきた高度な縄文文化を思い出させます。
その通りの一番奥であり、中心部に据え置かれているのが大きな茅葺きのアイヌ劇場オンネチセ。
その左側に家があるからそこに来いとの話で聖君と待っていました。
観光地としてはまだ早い時間でやっと起きだした町が朝靄を拭おうとしている中、軽トラックが近づいてきました。
もちろん時間を気にしていた僕らは時計を見ていましたが10時キッカリでした。
中には立派なヒゲを蓄えた老人が乗っています。

聖君
「あの人かな?あの人ですよ!きっと!」


「あのー、秋辺今吉さんですか?」

今吉さん
「おお、 そうじゃ。」


「初めまして、マーキーと言います。こちらは友人の聖君です。喫茶店でも行ってお茶でもしながらイオンカについてお話をお聴きしたいのですがどうでしょうか?」

今吉さん
「おお、 良いよ」


こうしてコタンの真ん中辺りの2階にある喫茶店で珈琲を飲みながらお話を聴かせてもらえることになりました。
思っていたよりも御高齢である事、そのハンパない存在感、空気。
僕も聖君も想像していた、いや、理想としていた存在が目の前に現れた事に興奮を隠せないでいました。


珈琲に砂糖とミルクは入れない。
タバコは軽いのをたまに吸う程度。

話す間合い。
見事な髭から語り出てくる日本神話の神々。
皺が刻まれた無骨な手から書き出される達筆な神々の名前。
遠い昔、日本列島にはアイヌが住んでいたこと。
そして、お父さんからイオンカを教えてもらったこと。


話は盛り上がり意気投合した僕はポンペさんから譲って貰って調律したヘニュードを吹きました。


今吉さん
「これが、原始の音。 今の音楽はこういう原始の音が足りん。」


有り難いお言葉でした。


そうこうしてイオンカ継承者である秋辺今吉さんとの付き合いが始まりました。
2007年頃の話です。



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段々と冬の足音が聴こえてくる季節になりましたが皆様如何お過ご しでしょうか?
この辺りは紅富士の綺麗な時期になりました。

さて、来る12月1日から12月9日まで結城幸司版画展を黒潮アートギャラリーで行う事になりました。 アイヌ民族唯一の版画家で札幌ビエンナーレ監修、家庭画報への提供、また年末にはフランス、ルーブル美術館での公演も控え、精力的に活動しております。

今年の新作はもちろん、今までの作品の中から選りすぐりの作品まで20点近く展示します。 なかなか目にする事の出来ない貴重な機会ですので是非お出かけ下さいね。 他にもヘニュード・イオンカは在庫が少ない状態ですがアイヌ雑貨や黒耀石なども普段通り販売しております。

ヘニュード・イオンカの個人ワークショップ(普段は5000円のところ個展期間中は3000円)、ヘニュード・イオンカを使ったヒーリングも受け付けておりますので お気軽にお問い合わせ下さい。


※黒潮アートギャラリーは小さな所ですのでご予約を下さってからお越し頂けると幸いです。

ご予約先
kuroshiobunka@gmail.com
08026139191(マーキー)


では、赤富士と共にお待ちしております。



黒潮アートギャラリー
静岡県富士宮市内野1551ー87
中山康直氏講演会 銀河パーティーin霧が峰
~現代に蘇らせよう縄文スピリット~

時は満ち、諏訪にある旧御射山社へと導かれ、今回私たちは集い、語らい、心を通わせ、魂の再会を喜ぼうではありませんか。その場でしか味わえないエネルギーを感じていただきたい。ご縁のある皆様に再会できることを楽しみにしております。


日時 2011年8月20(土)・21(日) 15;00~
場所 ヒュッテみさやま
〒393-0000 長野県諏訪郡下諏訪町八島湿原10618
℡0266-75-2370

8月20日(土)
15:00~ 受付
15:30~ 旧御射山(みさやま)社にて中山康直氏と共に神事を行います
16:00~ ヒュッテみさやまにて中山康直氏講演会
18:30~ 夕食及び懇親会
20:00~ マーキージョモラさんによるディジュリドゥ演奏
UFOとコンタクトを取りましょうゲーム
22:00~ 終了

8月21日(日)
6:00~ 起床
6:30~ tsugikoさんによる和みヨガ
7:00~ 各種セッション・ワークショップ
8:10~ 朝食(高嶋綾也担当)
9:00~ チェックアウト

詳細・料金

①中山康直氏講演会 4,000円(場所代300円込み)

②夕食・懇親会 3,500円
夕食は松本市『saboしが むすびや』さんの酵素玄米おにぎりと
野菜中心の料理。

③宿泊(講演会・懇親会・ヨガ・朝食付)15000円  定員22名

①・②のみの参加もOKです。

その他セッション・ワークショップを受けたい方は別途料金がかかります。

【問合せ・申込み先】
氏名・住所・電話(携帯)・アドレスをお書きになり下記までお送りください。
電話申込みでもOKです。
参加番号もお書きください。

mail@caferire.com
℡090-4546-0466


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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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※このブログに書いてある内容、その他の権利はマーキー・ジョモラ本人にあります。許可無く転載は一切する事が出来ません。
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