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黒潮文化の流れ
こうして、祭り~ワークショップ~ストーリーテリング~祭りと約9日間をかけて西伊豆から東伊豆まで横断してイベントを行ないました。
そしてようやく残り5日間、ゆっくりと今吉さんと過ごせる時間がやってきました。
これも、予め黒潮会でどういうルートで観光に行こうか決めていました。

先ず今吉さんが予てから楽しみにしていた富士山観光。最初羽田から三島に到着した時から富士山を見ては美しい山だと感激していました。実は4月終わりと言うのに今吉さんがやってくる前日に富士山が雪をかぶり、綺麗な雪化粧をしていたのです。なので今吉さんが富士山を見て溜め息をつくたびに僕は、今吉さんが来るから富士山がお化粧して待っていたんですよって言いました。今吉さんはその度に素直に喜んでくれてました。

今まで今吉さんは富士山を通り過ぎた事は有ったけれど、富士山に登った事も無く、車で上がったことも無いままでした。

今吉さん
「いろいろ言う人が在るかもしれんがね、 ワシは富士山はアイヌ語だと思っている。 富士山は、 フチさん。 つまりお婆さんという意味じゃ。 アペフチのフチだから、 つまり火山のお婆さんて事なんだねぇ」

当時はそうなのかぁと漠然と聴いていましたが、その後富士山に住むようになり、いろんな事が解ってくるとこの時今吉さんが言った事が全くのでたらめではない事が解ってきました。確かにその事について躍起になって違うと言う人もいます。しかし、その行為自体意味の無い事で、歴史の上で何が正しくて何が間違っているなど当事者で無い限り確証は無いのです。ましてや富士山などいつから呼ばれ始めたのかはっきりと解らないのです。それよりも今の人生をどう豊かに過ごし、後世にどれだけの夢を残していけるかの方が重要だと僕は思います。

現に良く調べていくと、富士山の周りにはアイヌ語起源の地名が沢山残っていますし、古代富士文献には、はっきりと富士アイヌ・甲斐アイヌ・相模アイヌ・八代アイヌ、群馬アイヌと書かれています。
そのような沢山のアイヌの痕跡を辿り時代を追っていくと、6世紀まで富士山周辺にいて祭儀を執り行い、強大な勢力を誇っていた蘇我一族と6世紀以降に北海道で始まった擦文文化が繋がってくる事が解ってきます。

話が逸れてしまいましたが、アイヌ語地名やアイヌ語起源説について多くの批判的な意見や最初から偏見を持つ人々は多くの勘違いと調査不足によるもので火の無いところに煙は立たないという諺を良く噛締めて頂きたいと思う所存です。そして、批判する姿勢からは真実など決して見えない事もよく理解して欲しいと願っています。


そんな訳で、先ずは富士山へ上り、そのままクリスタルラインと言う巨石奇岩の磐境がオンパレードの道を抜けストーンサークルの真ん中に据えた水晶の原石をお借りした信州川上村の山中さんの民宿に行ってゆっくりしようという計画が始まりました。

富士山の東側から車で5合目までドライヴしました。初めての富士山ドライヴに今吉さんも大喜びで何度も何度もオンカミ(拝み)してその美しさに溜め息をついていました。
そうして丁度5合目に着いて蕎麦でも食べようとなった時に僕の電話が鳴りました。


「はい、もしもし。」

相手
「マーキーさんですか?家の親父が静岡に行ったまま戻らないんですが、今どこにいるか分かりますか?もう10日も帰ってきてません。歳も歳だし家内も心配している状況です。」


「あ!デボさんですか!すいません。今一緒に富士山に来ています。」

デボさん
「富士山!?家の親父、電話もかけてこないで、いつ帰ってくるかも言わないで心配してたら富士山で遊んでる!?笑」


「すいません。一応スケジュールは渡していたのですが・・・。イベントは無事終了してこれから富士山と長野県の川上村へ行ってきます。温泉でも入りながらゆっくりしてもらおうと思っています。」

デボさん
「あー、それなら安心したわ。家の親父、富士山行くの楽しみにしてからなぁ。よろしく頼むよ。」


そんな電話をしている横で今吉さんは溶岩の石を見てはこれは使えると言いながら何個も何個も拾っていました。今吉さんは何でも使い道を考える人でした。その可能性を見つけ、応用しいろんな物を作るのが好きな人でした。

皆で蕎麦を食べ、富士山を降りて川上村へ向かいました。
途中の巨石群や標高の高い山々を見て喜んでくれ、長いドライヴの間一睡もしないで景色を楽しんでいました。
その間、いろんな事を教えてくれました。

川上村の湯沼鉱泉という山中さんの民宿に着いた僕らは、早速今までの話をしたり今吉さんと山中さんのお話しを聞いたりしていました。今吉さんは山中さんを気に入ったらしく、「本当の人間とはこういう人を言うんだよ」と自分より40歳も年下の山中さんを褒めていました。
確かに山中さんは水晶に魅せられ借金を負っても家族に反対されようとも水晶を掘ることを信念に何十年も続けてきた人でした。

話が一段落して、山中さんが堀抜いた洞窟を見学しに行きました。洞窟内に様々な珍しい水晶やここにしかない水晶などが展示されていて見事な空間を作り上げていました。

ここ、湯沼鉱泉では今吉さんもゆっくり出来て可愛い川上犬にも癒されていました。


その後、三島の山小屋へ戻り、昼は温かい日差しに恵まれながら夜は宴会という日が2日程続き、お別れの日がやってきてしまいました。
さすがに14日間昼夜を一緒に過ごしてきたので、黒潮会のメンバーも別れるのが辛そうでした。それだけ今吉さんは僕らにいろんな事を教えてくれ、またいろんなドラマを見せてくれました。そして、いつも褒めてくれました。

山小屋から羽田へ向かう際、今吉さんを乗せた車の周りを黒潮会のメンバーが乗ったバイクで囲み大名行列ならぬ勢いで三島まで皆で見送ってくれました。
その帰り道、今吉さんは

「この人生で富士山に登ることが出来ようとは夢にも思わなかった。 君たちが一生懸命に物事を進めていくから、 ワシもまた、 元気をもらったよ。 ありがとう」

と言ってくれました。
そして、

「来年も必ず来るから、 また一緒にカムイノミをやろうな。」

とも言ってくれました。
羽田に着いてご飯を一緒に食べて、また、阿寒湖へ戻っていきました。


かっこよくて優しい、何でも知ってる、素敵なお爺ちゃんが出来た。
そして偉大な師匠が現れた事に喜びに打ち震えた2008年の春でした。














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kzuqkm
urmdnw
kzuqkm URL 2012/05/01(Tue)09:18:20 編集
質問
富士山近くの人が帰らない地名は何ですか?
白川健三 2013/01/02(Wed)08:49:38 編集
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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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