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黒潮文化の流れ
それからも北海道へ通う生活が続きました。
相変わらず阿寒湖へ行けば今吉エカシは店先に座っています。

でも2回目の祭りの後、なんだか急に今吉さんからはちきれんばかりのパワーが感じられなくなってきました。
電話では元気な声で話してくれるのですが、実際に会うと何となく分かるのです。
デボさんももう親父は体力的には阿寒湖以外に出る事は難しいんじゃないか?と言っていました。
そんな事は無いです。今吉さんはまだ富士山へ行くといっているし、まだまだ体力は衰えていませんよ。
とはデボさんに言うものの、僕も気がかりではありました。

黒潮会では、2010年の祭り会場をどこにするかで沸いていましたが、僕的には少し様子を見ようと思っていました。
そうこうしていると、特にピンと来た会場が見付かるわけでもなく、そのまま祭りは行なわれる事無く2010年は過ぎていきました。

2011年は結婚した事もあって北海道に行く機会がめっきりと減ってしまいアイヌアートプロジェクトでも大きなイベントか内地のツアーの時しか合流出来なくなってきました。一度阿寒湖へいける機会があり、富士山で作られた削り花を今吉さんにもって行ったことがありました。その時今吉さんは寝ていたのですが、僕を見るや否や起き出して迎えてくれました。削り花を渡すと富士のイナウが阿寒にやってきたのは歴史上初めての事だと大変喜んでくれました。
その時はイオンカの材料を取りに出たついでで阿寒湖に寄ったものですから、今吉さんに会って削り花を渡したらすぐに阿寒湖を出ました。
するとしばらくしてデボさんから連絡が入り、親父が削り花が富士からやってきたからカムイノミすると言っている。すぐ来いとの話でした。
既に阿寒湖から80キロ程離れてしまっていたのでちょっと厳しいとの旨を伝えましたが、まさかこれが今吉さんとカムイノミを共にする最後のチャンスだったとはその時は夢にも思っていませんでした。

デボさんの言うとおり、今吉さんの様態は思わしくなく、寝ている状況が長く続いていたそうです。
それでも大きなカムイノミの際は祭司として出かけていたようです。


そして、2012年3月3日、夕方にアイヌアートのバンマス、賀道さんからメールで訃報が入りました。

今吉さんが亡くなられたらしい

え?・・・
何の虫の知らせも無く、いきなりの報せでした。
すぐさま賀道さんに電話し、確認を取りました。
よくは分からないが、阿寒からそういう話が来たという事でした。

僕はすぐに今吉さんに電話をかけました。
何かの間違えであって欲しい!自分はまだ今吉さんから教えてもらってばかりで何も返せてない!いや、見事な漆塗りのイオンカを作って今吉さんに渡す事でお返しをしようと思っていた!それさえもまだ出来ていない!頼む!嘘であってくれ!

電話は何回か呼び出し音が鳴った後、女性の声がしました。
デボさんの奥さんです。

「お父さんは、今日の正午、亡くなられました」

その言葉に一瞬またよく解らない状況になりました。
え?だって今吉さん今までだってもうだめだ、もうだめだって言われてきたのにその度に復活してなんでもなかったようにしてたじゃん。いきなり亡くなったって言われても信じられないよ。そんな言葉が頭の中をぐるぐる周り何を言っていいか解らなくなってしまい、とにかく阿寒へ行きますとだけ伝え電話を切りました。

次々と後悔ばかりが頭に浮かびます。
あの時、何で引き返さなかったんだろう?
なんでもっと早くイオンカを作って渡せなかったんだろう?
こんな事ならもっと阿寒湖に通って、今吉さんの傍にいれば良かった。

俺、駄目な弟子だなぁ。
そう思うととめどなく涙が流れ自分ではもうこの感情をどうしていいのか解らなくなってしまいました。

とにかく、なんとしてでも阿寒湖に行かなきゃ。
今行かなきゃもう今吉さんに会えない。

お金は?どうしよう?借金していくか?

とにかく、今は考えるより、この知らせをチカラや今吉さんを知っている人たちに伝えなきゃと思い、方々に電話しました。
チカラに電話するとすぐに、阿寒行くお金大丈夫ですか?皆に連絡して香典と交通費の足しになるようお金集めます。と言ってくれました。

頭がパニックでデボさんの奥さんと話した時に聞いたのに通夜と告別式の日程を覚えていなかったのでもう一度今吉さんの電話番号へ電話して日程を聞いたところ、友引きのおかげで通夜は5日になるという話でした。
丁度5日は21日に行なわれる舞台のリハーサルで東京へ行く事になっていて、その足で飛行機に乗って北海道へ行く事が出来るのでした。

次の日4日、チカラが香典と交通費の足しを、キャンプ場のオーナー、ニニギさんが香典と交通費にとお金を渡してくれました。アイヌアートのリーダー、幸司さんから電話が入り、俺も行くから札幌から車出してやる。と言ってくれました。札幌からはレンタカーで阿寒まで飛ばそうと思っていたので幸司さんが一緒に来てくれるのは心強かったです。人間本当に困った時には周りに助けられる物だとこれほど感謝した事はありませんでした。

5日の朝、夕べから降った大雪が朝方に大雨に変わって富士山が物凄い景色になっていました。
大雨が降っているにもかかわらず、富士山は雲に隠れず佇んでいました。
富士山も今吉さんの死を悲しんでいる。

リハーサルを途中で抜け出し吉祥寺から羽田へ、そして札幌に着いて幸司さんと合流。
阿寒まで高速を使って4時間ちょいで着きました。
もう通夜は終わっていて、今吉さんのお顔を拝見しようにも棺おけの窓は閉まっていて見れません。
明日、告別式の時まで我慢しようと思いその晩は酔っ払いもしないのに酒を浴びるように呑みました。
この時、まだ今吉さんは確かに肉体にいた気がしていました。
デボさんも僕が来たことに喜んでくれました。デボさんには明日、今吉さんにイオンカとイオマンテの唄を歌ってあげたいというと、是非そうしてくれと、告別式が始まる10時にお前の演奏を聞かせてやってくれと言ってくれました。

結局朝6時頃まで寝れず、火の番をしていましたが、8時まで2時間ほど休みました。
ご飯を食べ、告別式の準備が整うと奉納演奏を始めました。
先ずは今吉さんから教えてもらったイオマンテ。声が震えて上手く歌えたのか分かりませんでしたが、その時の精一杯で歌わせてもらいました。イオンカも、震えて上手く吹けたのかも分かりませんが精一杯吹かさせてもらいました。
終わって席に座ると、幸司さんが「今吉さんがマーキー君、良いイオンカじゃないかって言ってるぞ。そう聞こえた」って言ってきた途端、我慢していた涙がまた溢れてきました。

その後、坊さんがやってきて見事なお経を上げてくれましたが、その途中、生け花の中からチョウチョが飛び出してきました。阿寒湖はまだ-10℃以下で、しかもこの日は今吉さんを偲んでか猛吹雪が阿寒湖を襲っていました。

ああ、今吉さんやっと体から離れる時が来たんだな。

素直にそう思いました。

そしていよいよお別れです。棺おけの扉が開き、今吉さんの姿をやっと見る事が出来ました。
我が人生の師、秋辺今吉は生前と何の変わりもなく、安らかな顔をしていました。
皆で花を添える時、デボさんが一番最初にイオンカを今吉さんに抱かせてくれました。

ごめんなさい師匠、生きているうちに渡せませんでした。


その後、女性達の鶴の踊りや男性の弓の踊りを経て出棺となりましたが、建物の扉を開けた瞬間、猛吹雪が吹き荒れました。
バスに乗り、火葬場に向かいましたが、ほんの1キロも行くと吹雪はうそのように止んでいました。

もう、今吉さんの肉体とはお別れです。二度とあの声を聴く事も、あの笑い顔を見る事も出来ません。
今までいて当たり前だった存在がいなくなろうとしています。いや、きっと今吉さんなら肉体という窮屈な物から抜け出て自由に、もっと大きく羽ばたけるって笑っているのかな?とも思いました。
僕と今吉さんは住んでいる距離が離れているという事がありましたが、これで距離も時間も越えてずっとずっと近くになったのかなとも思いました。


今吉さん、今までどうもありがとうございました。
今度からは大空から見守っていてください。

僕がイオンカを吹くとき、作るとき、いつも今吉さんと一緒です。


そうお別れして、今吉さんのお顔と髭に触れましたが、まだまるで生きているかのように力強かった事を忘れません。
本当に本当に感謝しか出てきませんでした。

2時間かけて骨だけになった今吉さんはその生き方のとおり本当に骨太でした。
イオンカも無事に今吉さんと天に昇ったのか跡形も無くなっていました。

火葬が無事終わり、またバスに乗って阿寒に向かおうとすると鶴が2羽すぐ近くにいました。鶴は警戒心が強く、人間はなかなか近づく事が出来ません。
それなのに一向に逃げようともせずに1メートル程近くにいました。僕は野生の鶴の目を初めて見ました。
この2匹は今吉さんが天に昇るのを見守ったのか、はたまたその翼で天に連れて行ったのか・・・

帰りのバスの中なんだか悲しくなり、また泣いてしまいました。

葬儀会場に着くと幸司さんが熱があるのに待っていてくれ、まだ葬式はもう少し続きましたが、師匠の骨を拾う事も出来たので札幌に戻りました。



なんだかぽっかりと胸に穴が開いた気がします。
あまえさせてくれる大切な人がこの世から一人いなくなりました。
だからきっと僕も新しく誰かの面倒をみないといけないって事ですよね。



今吉さん、あなたから教わった事は必ず繋いで行きます。


黒潮文化の代表として

イオンカ奏者代表として

あなたの最愛の弟子として

ありがとうございました。



マーキー・ジョモラ

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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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