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黒潮文化の流れ
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北海道から東京に戻り、8年ほど前にインドのカルカッタで出合った時から付き合いのある幕内純平君のお誘いで5月31日江古田frying tea podにて「倍音渦中」。
出演者は幕内純平(口琴)&久野隆昭(ガタム) 、徳永ウィリアム(Vo)/ナカジマショウ(Gt)/カカ(Dr.) ,marquee djomula(イダキ、ヘニュード)。

1、幕内純平(口琴)&久野隆昭(ガタム)。ガタムって言うのは陶器のツボの側面に一個穴を開けた、手と指で叩く太鼓で、生で見るのは初めてだったけど繊細で気持ちのいい音がする。久野君は通称マッハと呼ばれているだけあってメチャ速い指捌きでガタムを叩く。 そこに純平の口琴が絡んでいい感じ。

2、俺。最初来ているお客さんの感じやライヴの雰囲気から白塗りとダンスは無しにして聴かせるライヴの方がいいかな~?って悩んで何回も純平君に「やっちゃっていい?」って聞いたけど純平君の答えは「いいよ、やっちゃいなよ、・・・う~んでもお客さんの状況見てからね」ばかり(笑)。
どうしようどうしよう。。。え~いやっちゃえ~!ってことで白塗りにしだしたら他の出演者唖然・・・。
小浜島で出合って西表の秘祭にダンサーで踊ってくれたカズとショウタ、東京イダキフリークスのカネちゃんが来てくれてたので3人を呼んで広くないステージでヤンヤヤンヤしてると客席には近藤君が踊りたそうにこっちを観てる。カモ~ン!
という事で5人で白塗りになってヤンヤヤンヤして客全員立たせて手拍子もらい最後にマンブルマンブルで〆てパッと終わりました。

3、徳永ウィリアム(Vo)/ナカジマショウ(Gt)/カカ(Dr.)。カッコイイブルースユニット。徳永ウィリアムさんはもと倍音ズで、倍音ズは昔2回くらい観た事あるけど、俺が見たメンバーの中で一番気合入ってた人だったので楽しみにしてました。しっとりとM.C.して始まった筈なのに始まった直後から激しいブルース!ここはブルース酒場かと勘違いした位に魂込もってました。


ライヴ終了後近藤君は白塗りのまま電車で帰り、俺とカズとショウタはfrying tea podの近くにある純平君の家でシャワー浴びて帰りました。
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北海道~東京~沼津~京都~浜松~鳥取。太古から人間が行ってきた儀式をヤポネシア各地で興したい!という理由で行った今回のツアー。お呼ばれしたイベントを含め計10回のツアーを終えて、いろんな人に出会い、いろんな場所、土地に出会い、いろんな山、海に出会い、そして自分の内で今回のツアーの象徴である天狗たちに出会ってきました。

まずは北海道。5月27日、札幌フリースペース黒豆にて。
前日からワークショップをやり27日も2回、計4時間のワークショップのあとのライヴ。ワークショップの後、スピーカー、機材を運び込み音合わせを済ませてみんなで公園へデコ用の草木を採りに行く。
準備ができた頃、BigDaddy、ポンペさん(※注1)登場。イナウやヘニュード、ポンコリ(ポンペさん独自の3弦トンコリ)、カチョーを持ってきてくれた。毎回ポンペさんはライヴしに来てくれる俺のかけがえのない師匠であり、親父。
ポンペさんのライヴが始まる。ポンコリを弾き唄を歌う。途中お客さんに声をかけ、セッションしようと言い、セッションした人にはビッグプレゼントがあると言うと会場は一斉にとおる君に注目。とおる君が前に出てセッション。その後とおる君がポンコリ弾きながら即興で歌を披露。上手い。。。

その後俺の出番。グンボルグの曲から始まり、2~3曲披露した後、聖君、イマッチ、あくさんをダンサーとして呼び、白塗りにして曲に合わせてどんなでもいいから踊ろうと言うと、最初は困惑していた3人だがイマッチがノリノリで踊り始め、聖君もあくさんも続いて踊りだす。そのうち全員参加しだし、ポンペさんもノリノリで踊りだした。
そんなこんなでみんなで輪になって踊り会場は面白い事になりました。

1)石井ポンペさん・・・・北海道札幌市在住のエカシ(長老)で最後のヘニュード伝承者。ポンペさんがいなければこのヤポネシアにヘニュードが存在していた事実は証明されていなかった。
ヤポネシアとオーストラリアの太古からの交流を証明するキーパーソンである。
Djulu Gurruwiwi(ジャルー・グルウィウィ)

オーストラリアの北部、アーネムランドには伝統的な生活を営んでいるアボリジニの部族が数多く暮らしているがジャルーは北東アーネムランドの部落Gunyangara(現地発音でコニャガラ)に暮らしている長老であり、イダキ(ディジュリドゥ、オーストラリア北部の人々が使う神聖な楽器)マスターでもあります。
日本にも2004年に来日し、世界中のディジュリドゥを吹く者ならばその名前を知らない人はいないくらいの神様的存在です。

僕は2000年に縁あってジャルーの村で共に過ごす事が出来、孫として受け入れられました。
その温かく、思慮深く、器のでかい人柄は、大げさではなく僕が初めて出会った生き神様と呼びたいと思います。これは実際に出会った人ならば誰もが感じる事だと思いますが、僕の感想としては、生き神様って本当にいたんだ・・・の一言です。
アボリジニの人々は非常に複雑な社会体制を持っており、ジャルーの社会的な位置を簡単に説明する事は非常に難しいですが、一般的に出来るだけ簡単に説明をすると下記のようになります。

<ドゥア半族>
世界中の先住民社会に多く見られますが、社会を二分する体系で、アボリジニの人々は陰陽の働きを全ての根本に見出していて、人間も父、母がいて新しい生命(子供)が生まれると言うことで父方、母方に半族として区分します。その中で父方がドゥア半族、母方がイリチャ半族です。

<ガルポクラン>
クランとは簡単に言うと共通する神話祖先を持つグループのことを言います。様々な部族はこのクランによって大まかに分けられる事が出来ますが、先の半族によってクランは分けられます。
ガルポとは槍投げ器を意味する言葉です。

<イナヅマの男>
ジャルーと言う名前は元々はジャルカルウィ(イナヅマ)からきています。そしてジャルーのトーテム(簡単に言うと守護霊)はウィテッチ(虹蛇)で天候を司る強力なパワーを持った精霊です。そしてウィテッチの時折出す出す舌がイナヅマに例えられています。






秋辺今吉

長い単筒笛・イオンカの継承者です。
アイヌ民族の最長老でもあり、阿寒湖の創立者でもあります。
道内外問わず大きなカムイノミ(神に願いを届ける儀礼)は最長老である秋辺今吉さんが祭司を務めます。
お年寄りを大事にするアイヌ文化では実質上アイヌ民族の代表でもあります。
波乱万丈の生涯を生き、様々な人々に影響を与えた存在は正に日本列島の宝と言っても過言ではありません。
その深い考察力、想像力、愛情とどれをとってもその人間力は右に出るものがありませんし、霊界や魂、カムイの世界や日本神話にも深い知識と経験を持っています。

2012年3月3日正午ちょうどに実年齢95歳で大往生されました。






石井ポンペ

1945年北海道勇払郡穂別町イエナップ生まれのアイヌ民族のエカシ(長老)です。
ヤポネシア(日本列島)に存在していた短い単筒笛、ヘニュードの伝承者です。
明るく、お茶目でやさしいエカシです。
世界中の先住民や他民族との共演や世界各地にアイヌ文化を広めるために演奏活動しています。
現在、自然に対する豊富な知識と配慮を生かして結城幸司さん率いるアイヌアートプロジェクトと共に知床エコツアーなどを行い、自然環境と人間の関係性を伝えています。
ポンペとは、ポン=小さな ・ ぺッ=川 という意味です。


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プロフィール
HN:
Marquee Djomula
性別:
男性
自己紹介:
マーキー・ジョモラ

2000年にオーストラリア、北東アーネムランドで伝説のイダキ(ディジュリドゥ)マスター、ジャルー・グルウィウィと出会い、イダキの伝統奏法、伝統曲、製造方法と文化を学ぶ。
13日間に及ぶ儀式に参加を許され、一族の血を表す赤オーカー(儀式の際身体につける顔料)を受ける。
守護霊と3つの名前 、秘密の名前をもらいジャルーの孫として受け入れられる。
二回目の訪問により太古の日本人がカヌーで村を訪れたという唄を歌い継いでいる事を知る。

2004年にアイヌ民族にディジュリドゥと同じ原理の単筒笛(たんとうてき)、へニュードとイオンカを発見。その伝承者、石井ポンペ氏(ヘニュード)、故・秋辺今吉氏(イオンカ)と出会い、ジャルーより学んだ製法によりへニュードとイオンカの制作を始め、漆ヘニュード・漆イオンカに辿り着く。
その他、約三年に渡るフィールドワークにより沖縄の単筒笛の存在、東北蝦夷のコサ笛の伝統的な作り方を発掘。

現在、古代ヤポネシア精神を復興する為に全国各地でのソロ演奏活動や日本列島における単筒笛文化啓発活動をしながら、故・秋辺今吉氏の意思を継ぐ為にワークショップも主催。

ソロ活動の他にトライヴァルロックバンド・アイヌアートプロジェクトでの演奏や、石井ポンペ氏との共演を重ね、伝統奏法を元に新たなヤポネシア奏法を模索し続けている。



黒潮文化の会代表。
http://marqueedjomula.web.fc2.com/index_mg.html


hi i`m marquee djomula. i study traditional aboriginal music. when i was 23years old, i met one great parson,djalu gurruwiwi. he gave me big love and secret name to me. he teach me how to play yolung style.and how to make yidaki. and join to dance on 13days ceremony.and djalu painted red orcar on my body. then i start visit djalu and lean spirit. when i visit secand time,djalu teach me one story from longlong time ago. it`s about japanese people visited the yolng villege by cunoe and dancing together. yolng people has a song about it and still sing on ceremony. it`s very very important for japanese people`s spirit and mind. perhaps can find a didgeridoo conection about from yaponesia to sundaland! when i was 26years old i find a japanese indigenous people(call ainu) have same principle of didgejedoo. call henyudo or ionka. then i start seaching yaponesian(japan`s old name.befor civilization) music and revivaling henyudo and ionka culture with last legendaly parson.


E-mail: marqueedjomula@gmail.com

★CD(古いCDデッキだと再生されない事があります)
Return to tribe
Marquee djomula
¥2000

★ディジュリドゥ教則DVD
How to traditional style 初級者編
\3500

CDとDVDはmarqueedjomula@gmail.comへご連絡ください。



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